えのメモ

プリキュアとミリオンライブについて日々考えている者です。

ヒープリ終盤についてややメタ的な視点で考えてみる

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(出典:ヒーリングっど♡プリキュア42話)

そういえば、ヒープリ終盤についてちゃんと語っていなかったなぁと思いまして。

私の記事にしては珍しく意見強めです。以下常体。

 

 

 

おしながき

 

 

 

和解は当たり前ではないという話

ダルイゼンを助けなかった理由はのどかが全部言っている。

結局ダルイゼンはそれらしい言葉を並べ立ててのどかを追い詰め、自分の意見が通らないとなったら暴言や暴力を振るった。「お前(のどか)も自分のことしか考えていない」なんて言葉は正論でも何でもない詭弁。

だから正直言って、のどかが自分を犠牲にしてダルイゼンを助けるような展開は嫌だなと思っていた。

当時のツイート↓

https://twitter.com/E_no_DEN/status/1355720564329988101?s=20&t=DaU1xputY3YVXOoHzygLpg

ので、42話の展開は非常に納得できるものだった。

「都合のいいときだけ利用しないで」というのどかの主張はその通りとしか言いようがない。

 

本題。もしかするとこの話を見るまで、「和解をするのが当たり前」という考えになっていた人がいるんじゃなかろうか。あるいはヒープリ42話の結末に納得できないという人の中にはまだいるかもしれない。

振り返れば、私のツイートにも少しその兆しがある。でも例えば、全くのフラットでヒープリを見たときにのどかがダルイゼンを助けると本当に思えるだろうか。

ヒープリ前の数作(プリアラ~スタプリ)は和解寄りの展開であった。でもそれは、プリキュアたちの言動に相手が心を動かされる、あるいは考えを変えた相手をプリキュアたちが受け入れるというちゃんとしたプロセスがある。

和解だのなんだのというのは双方の歩み寄りによって成立するものってわけ。決してヒト型だからとかイケメンだからとかではない。ダルイゼンの態度は(主観的にはなるけど)まったくその領域に達していなかった。少しでも悩んだのは本当にのどかの優しいところだよ。ラビリンがいてくれて良かった。

確かに過去シリーズを見渡すと、敵幹部との関係性というのは単なる敵味方ではない、作品の見どころでもあった。とはいえ、最近はそれが視聴者の中で形骸化していた部分もあったと思う。「ダルのど」と言って、過程を見る前から和解した後のことを考えているのってどうなのよ。

 

長くなったけど私が言いたいのは、なんで和解をしなかったのか、と思う前に「そもそもなぜ和解をするのか(できるのか)」という原点に立ち返るべきということ。のどかとダルイゼンになにかしらの関係性を見出すのは個人の自由だけど、のどかを数年にわたって苦しめ、幼少期の大切な時間を奪った相手であることは忘れちゃいけないでしょう。

 

 

おまけ:女神も絶対に人間の味方とは限らないという話

これに関連して、最終話のテアティーヌの発言も振り返っておく。

「(場合によっては)人間を浄化することもある」というもの。

これが、自分や周りの大切なものの尊厳を奪うような存在はなんであれ許されないというヒープリ終盤テーマをのどかたち(人間)以外の視点から語ったものであることは自明だけど、メタ的に見てもけっこう興味深い。

なぜならプリキュアにおける女神様ポジションは基本的に人間の味方で、ある種セーブポイントみたいなものだったからである。そんな女神様が、行い次第では人間を切り捨てると言ったことは衝撃ではあったけど、42話と最終話をストーリー的にもメタ的にも繋げる重要な発言だったと思う。

ダルイゼン関係と合わせて、色々なことを当たり前と思っている視聴者に対するアンチテーゼを含んだ終盤だったのかもしれない……これは、言い過ぎのような気もする。

 

 

以上。途中で忙しくなって途絶えてしまったヒープリ感想。余裕があれば振り返って完走したいところではあるんですがなかなか難しいので、本記事をまとめとして締めさせていただきます。