過去3シリーズほどのネタバレを含みます。
一応反転で見られるように隠してはあります。
プリキュアシリーズでは、主に最終戦の展開として、全てを無に帰さんとするラスボスと戦うことが非常に多いです。
スター☆トゥインクルプリキュアのラスボスである「へびつかい座のプリンセス」の目的は、「宇宙の征服ではなく宇宙を無に帰すこと」でしたし、
HUGっと!プリキュアのラスボスである「ジョージ・クライは暗い未来ではなく時の停止を望み」、
キラキラ☆プリキュアアラモードのラスボスである「エリシオの作った世界は絶望溢れるものではなく、感情を奪われた管理社会」でした。
これは一例で、同様の思想を持ったラスボスは他にも何人かいます。
このように、世界を負の感情で満たすことではなく、また自身の欲望のために動くでもなく、世界そのものを消滅せんとする存在を、”無”の存在と呼ぶことします。
一方でその配下である幹部たちは基本的に”負”の存在です。
世界の侵略であったり、負の感情の生成であったりが彼らの目的です。
プリキュアたちは初め、負の存在である幹部たちと戦い、彼らの野望を阻止しようとします。
しかし戦いの中で、しばし彼らの事情や抱えているものを知り、正の感情と負の感情は表裏一体であることを知っていくのです。
正の感情があるからこそ負の感情もある。逆もまたしかり。
そして最終盤では、”正”も”負”も、全てを無に帰さんとするラスボスが現れます。
彼らの主張はこう。世界は不完全である。待ち受けるのは絶望である。だからすべてを無に帰すのだ、と。
それに対してプリキュアたちは抵抗します。世界には、未来には、辛いこともあるかもしれない。でも、希望が、明るい未来が待っている可能性を、私たちは諦めたくないと。
最後には、無の存在であるラスボスたちをプリキュアは討ち果たします。一方で、負の存在であった幹部たちとは手を取りあう、あるいは認め合いながら別の道を行く。
このような展開が、いくつかの、特に近年のプリキュアシリーズの流れとなっています。
つまるところ、プリキュアはただ単に希望を唱えているわけではないのです。楽しいことも、辛いこともあるけれど、未来を信じて進んでいくべきである。そんなことを伝えようとしているのですね。
さて、長くなりましたがここからがヒープリについてのお話です。
ビョーゲンズはどうかというと、彼らはプリキュア側から見た「負」の存在ですよね。
人や自然を蝕み、破壊する。それは彼らの生存のためであり、これはまさしく負の性質です。悪性ではなくあくまで彼ら自身の繁栄のためであるというのが面白いところです。
ビョーゲンズをこれまでのプリキュアシリーズの主張と照らし合わせてみると、やはり行く先は彼らとの共存、というかたちになるのではないかと思います。
ただ難しいのは彼らが悪性であるためではなく、生きるために蝕んでいるという点です。共存を選ぶ上で、ビョーゲンズによって蝕まれる何かというのは無くならないであろうことが予測できるわけです。
もしかしたらヒーリングっど♡プリキュアは、ものすごく難しいことをしようとしているのかもしれません。
もちろんビョーゲンズたちがプリキュアたちに浄化されて終わる可能性も否定できませんし、ラスボスであるキングビョーゲンの狙いが、地球を蝕むこと以外にあったりするとまたこじれてくるわけなのですが。
ビョーゲンズとの和解が終盤にあるのだとしたら、それがどのように展開されるのか。非常に興味深いなと、そんな話でした。